多古御城印第三弾【1403226】
多古町は栗山川を中心とする水運と佐原街道等による陸上交通の要衝として古くから重要視されてきた町でした。中世期には千田荘といわれる荘園であった多古は、千葉一族による、有力な支配地域となり、多数の宗教施設や居館が町内に建立されました。多古を領地のひとつとした千葉一族は、一族内の争いも多く、享徳の乱(1454年)においては、内紛が起き、千葉宗家が滅びました。その際に歴史の舞台になったのも多古だったのです。 戦国期には多古を巡る争いも一層激化し、こういった経緯を背景として、多古町には中世・戦国期の城郭が30以上も存在し、まさに「山城の町」だったのです。 第三弾は「中城」「久保城」「次浦城」です。
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