愛知県 豊橋市 (あいちけん   とよはしし)

お子様の健やかな成長と学業上達を願って『吉田赤天神 土人形』

『赤天神』とは、吉田天満宮のご祭神である天神様(菅原道真公)のことです。 ~~赤天神のあらまし~~ 明治11年まで豊橋市花園町の一部は垉六町と呼ばれ、土器や陶器の生産、販売が盛んな地域で、その一環で子供の玩具なども作られていました。 文化文肢の頃、京より地方歌舞伎役者であった杉浦幸次郎が来て、豊橋札木(ふだぎ)町で赤色の天神、鳩笛等の土人形を制作し、売り出したのが始まりです。 明治32(1899)年、その弟子の吉田孫吉が曲尺手(かねんて)町で独立し、赤天神を含む、吉田土人形を制作し世に広めました。 昭和2(1927)年、吉田孫吉の弟子、西村茂治が東田(あずまだ)町にて独立し、赤天神などの制作活動を行い、「新吉田土人形」という誉名で大成いたしました。 東三河地方では、三月三日の桃の節句に天神人形を飾る風習が生まれました。 男子は天神様のみ、女子はひな壇の一偶に飾り、天神様(菅原道実公)にあやかって文筆に秀でるよう切望し、天神様の御神徳のもと、子供の学業上達、無病息災を願いました。やがて進学や資格、就職試験の際、赤天神を机上に安置すれば入学疑いなしと云われていました。 一体一体、型起し、素焼き、絵付けまで、すべて当時の技法を踏襲して手作りで作成していますので、天神様のお顔もひとつひとつ異なる趣です。 提供/合同会社ずっとこの街

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容量
●吉田赤天神 土人形 一体  高さ:9.5センチ(台座部分2.5センチ含む)  台座部分:横8.0×奥行5.5センチ 化粧箱入

『赤天神 土人形』のできるまで

常滑産の土をこねることから始まり、型起しから素焼き、絵付けまで一体一体人の手で行ないます。
天神様のお顔も一つ一つ違い、同じ物は一つとしてありません。

写真
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桃の節句は女子のお雛様を飾りますが、豊橋地方のかつての風習では、男児が天神様(菅原道実公)にあやかって文筆に秀でるよう切望し、2月25日の天神様の日から3月3日まで赤天神を雛壇の一偶に必ず飾り、天神様の御神徳のもと、子供の学業上達、無病息災を願いました。

近年、土人形の基となる土や絵の具の不足等から制作が激減したのですが、完全に途絶えてしまう前に郷土の風土に培われた郷土人形を伝えていきたい。
この『赤天神』は豊橋の郷土玩具としての伝統を受け継ぎ、次世代へ繋いでいきたいとの思いから、地元有志たちの手によって型起し、素焼き、絵付けと当時の技法を踏襲して制作されています。

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