プレミアムツアー「三溪園の“秀吉”を巡る」【2026年2月23日(月・祝)午後の部】(1名様分)
三溪園と豊臣秀吉
三溪園には、創設者・原三溪が蒐集した歴史上の人物にゆかりの建造物や石造物が数多く点在しています。中でも注目されるのが、豊臣秀吉ゆかりの数々です。
本ツアーでは2026年の大河ドラマで話題が高まっている、この豊臣秀吉をキーワードに三溪園の学芸員が三溪の蒐集や造園の意図に触れながら、通常非公開の重要文化財建造物内部(臨春閣、旧天瑞寺寿堂覆堂)を中心にご案内します。
また、秀吉と同時代に生きた織田信長の弟・有楽斎ゆかりの茶室・春草廬ではカジュアルなスタイルでのお茶(菓子付、お点前なし)をお楽しみいただきます。かつて武将たちが集った空間での特別な体験を味わっていただきます。
東の桂離宮「臨春閣」
江戸時代はじめの1649年(慶安2年)に、現在の和歌山県岩出市の紀ノ川沿いに建てられた紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と考えられた建物。その後、大阪市此花区春日出新田に移されていたものを1906年(明治39年)に原三溪が譲り受け、11年をかけて念入りに配置を吟味し、1917年(大正6年)に移築が完了しました。 移築の際には、屋根の形と3棟からなる建物の配置が変更されましたが、内部は元の状態が残され、狩野派を中心とする障壁画と繊細・優美な数寄屋風書院造りの意匠を各所に見ることができます。 池に面して3つの棟を奥にずらしながら連結させた、この臨春閣の姿は内苑の景観の中心となるもので、三溪園が「東の桂離宮」と称される所以となっています。
移築当時は、豊臣秀吉が建てた桃山時代の聚楽第の遺構とされ、「桃山御殿」と呼ばれていました。
※障壁画は複製画で、原本は三溪記念館に収蔵し定期的に展示を行っています。

豊臣秀吉が建てた「旧天瑞寺寿堂覆堂」
1591年(天正19年)に、豊臣秀吉が病気から快復した母・大政所の長寿を祈って建てた生前墓の寿塔を覆っていた建物。桃山時代らしい豪壮な彫刻や柱とその上の組物などには、かつて鮮やかな彩色が施されていましたが、現在は風化して一部に痕跡を残すのみとなっています。
1905年(明治38年)に、原三溪が内苑に移築した最初の古建築です。(この覆堂があった天瑞寺は大徳寺内の寺院の一つでしたが、明治時代のはじめに廃寺となり、現在は存在していません。)

織田信長の弟・有楽斎ゆかりの茶室「春草廬」
織田信長の弟・織田有楽の作とされる江戸時代初めごろの茶室。月華殿とともに1922年(大正11年)に京都・宇治の三室戸寺金蔵院から移築されました。
かつては「九窓亭」と呼ばれた三畳台目の席(三畳と約4分の3の大きさの畳を合わせた小さな空間)は、その名のとおり九つの窓が美しく構成されています。付属する水屋と広間は三溪園に移築される際に原三溪が加えたものです。
かつては臨春閣の裏手に白雲邸と接続して建てられていましたが、第二次世界大戦の際に空襲の被害を避けるため解体され、戦後、現在の場所に再築されました。

■お問合せ先
【返礼品に関すること】
公益財団法人三溪園保勝会
電話:045-621-0634・0635
【ふるさと納税に関すること】
横浜市にぎわいスポーツ文化局観光MICE振興課
電話:045-671-3546
メール:[email protected]
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