山梨県 富士川町 (やまなしけん   ふじかわちょう)

B1605春鶯囀(しゅんのうてん)「本醸造」~豆樽~

米・米麹のみで仕込んだ酒通向きです。飲み口はやわらかくコクもあり、後味はキレが良く飲み飽きしない食中酒です。お祝いごとやご家族のお集まりにも最適です。 【提供】萬屋醸造店

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  • 常温
  • 冷蔵
  • 冷凍
  • 定期便
  • ギフト包装
  • のし
容量
豆樽1個(本醸造酒1.8ℓ)

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萬屋醸造店の歴史
酒蔵のはじまり
1790年(寛政2年)初代 萬屋八五郎が現在の地に酒蔵を開き「一力正宗」の酒銘が誕生しました。
萬屋の「萬」は「万」と表すため、「万」を分解した二文字「一」と「力」に由来します。
酒蔵誕生には富士川町(旧増穂村、旧鰍沢村)の歴史・文化が深く関わっています。
富士川町はその昔、静岡と甲州(現山梨県)を結ぶ富士川舟運の要衝の地として栄えました。
今から400年前、徳川家康の命を受けた角倉 了以(すみのくら りょうい)により、富士川流域の鰍沢(現富士川町)から駿府の岩淵までが開削され開通しました。
駿信往還と駿州往還の交わる地点に位置していた富士川町は、山梨県の玄関口・流通の拠点として大きく発展しました。当時の主な積荷は「下げ米、上げ塩」と呼ばれ、下り荷は甲州や信州からの幕府への年貢米、上がり荷は塩などの海産物が中心でした。船は人や物を運び、鰍沢には全国から集められた物品・文化・風習が次々と流れ込み、経済・文化の表玄関として栄えました。周辺の農村部ではその影響を受け、養蚕、桑栽培が発展しました。このように富士川舟運の発展を背景に、当社だけでなく多くの酒蔵がその周辺で酒造を始めました。

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酒米栽培のこだわり
地元富士川町の酒米にこだわり
酒米の約85%は富士川町を中心とした地元産を使用しています。かつて酒米は県外から仕入れていたが、「地酒である以上、酒米と水は地元にこだわりたい」という想いから地元での酒米栽培にこだわり続けています。
平成23年に地元農家、JA関係者、生産者団体と一緒に「春鶯囀 酒米づくり協議会」を発足しました。
酒づくりの方向性や想いを常に共有し、たゆまぬ努力で「おいしい酒を造るための酒米づくり」を追い続けています。
協議会のメンバーの一人は、冬に蔵人としても酒造りに加わっています。この取り組みにより、
1.米作りから酒造りまでの一貫した管理が可能
2.酒造り(会社の方向性と戦略)を米作りにダイレクトに反映
3.意思決定のスピードと連携が「うまい酒」づくりを可能にする
など、おいしいお酒造りをより現実的にします。

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精米のこだわり
自家精米で自ら磨く
徹底した原料米処理こそ「うまい酒」づくりの第一歩だと考えております。地元で獲れた酒米を、自ら磨く「自社精米」を実施し、納得がいくまで酒米を磨いています。

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