奈良県 奈良市 (ならけん   ならし)

赤膚焼大塩昭山 奈良絵抹茶茶碗 茶わん なら絵 奈良県 奈良市 C-30

赤膚焼窯元大塩昭山の登り窯で焼かれた奈良絵のお抹茶茶碗です。 奈良絵の中に、春日大社の神の使い「鹿」と正倉院の「瑞鳥」を描いた作品です。 正倉院の瑞鳥はおめでたいことの起こる前兆を告げるとされ、幸せを運ぶ鳥と言われています。 作者:大塩昭山

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容量
抹茶茶碗×1

赤膚焼とは

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 赤膚焼は小堀遠州( 1579~1647)の好んだ遠州七窯のひとつに数えられます。
 特にお茶の道具を造る窯として始まりました。

 私どもの工房の所在する赤膚焼の里、赤膚山は、古の平城京の南西部に位置し、
 青丹よしの詞どおり古来より良質の陶土の産する所であります。
 この良土と天平の昔よりの歴史的、文化的風土に育まれた陶器が赤膚焼であります。

 作品には灰釉を使った乳白色のものが多くみられ、奈良絵とよばれる上絵がつけられています。

赤膚焼の由来

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 赤膚焼を産出する大和五条山は古代菅原の地で、附近一帯の土は製陶の素材として最も適しており、
 垂仁帝の御世に野見宿禰の埴つくりのことが、古記録に見えることから推しても明らかであります。

 天正年間、秀長卿大納言秀長が尾張常滑の陶工与九郎を招いて五条山独自の登窯を始め、
 その後京都の工人、仁清が当地において種々工夫を重ね、また郡山藩主柳沢家の御用窯となり、
 特に三代城主尭山公が民芸作興の趣旨の下に保護奨励されてより、
 柳 里恭の影響も 遠州七窯の一 として世に喧伝されるに至ったのです。

 天保年間に城下町郡山の小間物商柏屋武兵衛、一名奥田木白が出現して、
 滋味饒かな赤膚の乳白釉を着彩した奈良人形、香盒、置物の形物楽焼に見せた
 篦目の冴えと素朴な持味を生かした作風は、倅木左、轆轤師山口縫造と共に
 赤膚焼の声価を不滅のものとした実に強力な存在であり、古代赤膚焼の伝統を生かしつつ
 現代の茶陶の基を完成せられたのであります。

奈良絵とは

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奈良絵は、お釈迦様の生涯を描いた 「 過去現在因果経 」(お釈迦様が生まれてから亡くなるまでの修行や徳を積む事、王子時代の結婚式の場面のお話が描かれているお釈迦様の一生を描いた経典)を漢訳し、そこに経文の絵解きを添えた絵因果経を手本にしたもので、なんとなく愛らしい人形(因果経の中に出てくる人々) 家(東大寺の大仏様の座っている連弁に刻紋されている絵)木や花(松竹梅や春日杉)が描かれているものが多く、昔は庶民が字を読み書き出来なかった為、お坊さんが絵解きで説法をしたのを描きだしたのが奈良絵の始まりです。
 
又、現代では奈良の風景 三笠山や鹿、春日の鳥居、正倉院文様(瑞鳥や宝相華)、昔の物語(御伽草子や室町時代から江戸時代に描かれた絵本)などといった、色々な紋様が組み入れられて奈良絵になっています。

正倉院瑞鳥

正倉院の瑞鳥(空を飛ぶものすべて蝶々や蜻蛉も含め)は吉兆の兆しを知らせる鳥と言われています。
瑞鳥は天界と下界を行き来する渡り鳥で物を銜えて飛んでいます。
天界から皆さんの元へ幸せを運んでくるとされています。
正倉院の瑞鳥を描いた器で幸せのお零れを祈念して制作しています。
皆さんに幸せが訪れます様に!

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