佐賀県 多久市 (さがけん   たくし)

フルーティーで甘口 純米大吟醸 多久 720ml×2本 日本酒 _b-428

「多久未来プロジェクト」が主導で、地元(佐賀県多久市)の水と米で地元の酒蔵が醸した日本酒を中核に据え、町おこしを進めようという試みによって作られたお酒です。 比較的ねばりが少なくさっぱりとした味わいが特徴の飯米「さがびより」を50%まで精米して造られた純米大吟醸です。 フルーティーで甘口の大吟醸です。普段、日本酒を飲まない方からも、”飲みやすくてすいすい飲める"と評判です。 ※20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。20歳未満の方の申し受けは致しておりません。 純米大吟醸 多久 720ml 2本 日本酒 酒 お酒 さがびより フルーティー 甘口 飲みやすい 多久未来プロジェクト

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容量
純米大吟醸 多久 720ml×2本

若き杜氏が醸し出す飲む人を感動させる日本酒

西暦1830年(天保元年)に創業した東鶴酒造は、地元の愛飲家の方たちに愛される地酒をずっと造ってこられておりました。当時は仕込みの時期になると福岡県の柳川市から杜氏と蔵男を招き入れ、仕込みが終わるまではずっと住み込みというかたちでの地酒造りでした。

しかしながら、長引く不況に加え日本酒需要の低迷の煽りも重なり、ついに平成元年に製造を停止し東鶴酒造は休業状態となってしまったのです。

蔵元の野中家長男である保斉(やすなり)氏は、あろうことか日本酒が苦手。そんな彼が大学卒業後に実家に帰ってきた時は、家業である東鶴酒造はまさに廃業寸前、保斉氏の日本酒嫌いを知る誰しもが「これで東鶴は終わった」と思ったのも無理なことではありませんでした。

そんな或る日、東鶴酒造の危機を見かねた愛飲家の一人が、「本当に旨い酒を飲んだら日本酒嫌いも変わるはず」と、とある佐賀の酒蔵の純米酒を携えて野中家を訪れるや半ば強引に保斉氏にそのお酒を飲ませたのです。

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「これが、私が苦手だった日本酒?」

一口飲んだ保斉氏。これまで飲んだことのない芳醇な香りとまろやかな酒の味に驚くとともに、その感動で心が大きく突き動かされてしまった。

「飲んだ人が感動するようなこんな日本酒を自分も造ってみたい!」

保斉氏の中にそんな気持ちが芽生えたとき、それは紛れもなく東鶴酒造の廃業の危機が去って行った瞬間だったのです。

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今でこそ立派な杜氏で六代目蔵元の保斉氏ですが、数年の修業を経て15年ぶりに再開し初めて自分の造った酒を世に出したときは、不安と達成感が入り乱れた何とも言えない不思議な気持ちになったという。

今でもその時の気持ちはハッキリと覚えているし、それをけっして忘れないようにしたいという保斉氏にとって、まさにそれが原動力にもなっているのかもしれません。

「東鶴はまだまだ進化の途上です」

明るく、屈託のない笑顔の保斉氏。酒造りに貪欲な若き杜氏が醸し出す、飲む人の心を突き動かす地酒づくりにどうぞご期待あれ!!

2019年佐賀豪雨の水害を乗り越えた奇跡の日本酒

自宅と酒蔵が牛津川と別府川に挟まれた場所にある東鶴酒造。

これまで大雨が降るたびに、増水した川を見てはいつかは氾濫するのではないかと、若き杜氏の保斉(やすなり)氏はいつもヒヤヒヤしていたという。

その日、数十年に一度の災害の恐れがあるとして、福岡・佐賀・長崎の3県に大雨特別警報が発令されたとき、日ごろ抱えていたその不安がはからずも的中してしまったのでした。

令和元年8月28日の早朝、酒蔵の西側にある別府川が越水したとの情報が入り慌てて確認に出てみると、まさに自宅と酒蔵の周辺も水浸しになっているのを見て野中家の全員は避難を余儀なくされたのです。

ようやく水位が下がってきた同日昼ごろに自宅と酒蔵に戻ってみると、どちらも水に浸かった跡が40センチの高さまであったことが確認できたのです。

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氾濫した川の泥水は、蔵全体に容赦なく浸水したために辺り一面は泥だらけ。貯蔵していた日本酒約1千本は水没し、美味しい酒を求めるために新しく掘った井戸にも浸水した。

さらに槽や麹室の中にまで泥水は入り込み、まさに思わず目を覆いたくなるような状況というのはこういうことを言うのだろうと保斉氏は思った。

さらに追い打ちをかけたのは、ポンプや冷却設備なども使えなくなったことだ。その損害額は1千万円にも上り、再始動を始めたばかりの東鶴酒造に、絶望感を与えるのには十分すぎる数字だった。

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しかし、この記録的な豪雨は、東鶴酒造だけではなく保斉氏の心にも大きな爪痕を残して行ったのだ。

「もう、ここで酒を造るのは無理かもしれない…」

被害のあまりの大きさに、途方に暮れていた保斉氏の頭の中には、酒蔵の移転どころか廃業さえ考えるまでになっていたのでした。

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ところが一夜明けると、保斉氏のそんなネガティブな考えを一掃するような光景がそこに広がっていたです!!

なんと、被害を聞きつけた県内外の同業者の方々、酒販店さん、飲食店さんなど約30人が駆けつけ復旧作業を手伝ってくれていたのです。

「まったく、感謝してもしきれないですね。こんなにも応援していただいているのだから、もっともっと美味しいお酒を造らなきゃいけませんよね」

心が折れてしまうような水害という苦難を乗り越え、両親と妻、そして社員の計5人で再び一歩ずつ歩み始めた東鶴酒造。そして、そんな苦難の中から生まれた奇跡の日本酒。

地域の人からも、また酒販店さんや同業者さんからも愛される東鶴酒造。

人と人との関係を大切にしてきた先代、先々代の商いの精神が、まさに今ここに実を結んでいるのかもしれない。

地酒づくりの作業風景

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①お米を蒸す作業です。一度に300Kgものお米を処理します。
 蒸すときの蒸気の圧力で蒸しあがりの状態を調整します。
 弊社では米の旨味がしっかり出るように高圧の蒸気でしっかり蒸しあげます。

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②蒸しあがったお米は手作業で運び出します。
 100℃近い蒸し米を代々使用している木桶で担いで運びます。

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③蒸したお米を温度調整します。
 麹を造るときは40度、タンクに仕込むときは10度以下まで冷やします。
 この温度調整がお酒の出来に大きく影響します。

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④タンクに仕込んだ醪(もろみ)と呼ばれる状態から
 約1か月かけてゆっくり低温で発酵させます。
 そうさせることにより味わい深く、雑味のない
 旨味と透明感が共存するお酒になります。

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⑤弊社の使用している搾り機です。
 槽(ふね)と呼ばれ、全国でも1割くらいしか使われていない昔ながらの機械です。

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⑥酒袋と呼ばれる専用の袋に醪を入れて300枚ほど手作業で積んでいきます。

東鶴酒造のラインナップ

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