G142p 〈光雲窯〉五頭鯨筒湯呑
イッカク・シャチ・ザトウ・セミ・マッコウの5頭の鯨を描いています。 [三川内焼・みかわち焼・うつわ・器・セット・ペア・作家・伝統工芸・肥前・日本遺産] ~五感で感じる日本磁器のふるさと~日本遺産・肥前やきもの圏について 古くから焼き物の産地として栄えた肥前地区(佐賀県、長崎県)。 有名な有田焼や波佐見焼のほかにも、様々な陶磁器がそれぞれの特徴をもって発展してきました。 その中で、みかわち焼は、御用窯として幕府や朝廷への献上品や美術品などを手掛けてきました。 歴史あるみかわち焼の伝統と、手作りの味わいをぜひご堪能ください。 その他肥前やきもの圏の産地 波佐見町 はさみ焼(波佐見焼) 有田町 ありた焼(有田焼) 唐津市 唐津焼 伊万里市 伊万里・鍋島焼 武雄市 武雄焼 嬉野市 肥前吉田焼・志田焼 平戸市 中野焼
光雲窯について

江戸時代から続くみかわち焼。光雲窯は、現当主今村隆光で十四代目です。
巧みな筆づかいで細い線を駆使して描いた、古典的な山水や獅子、龍。鯨の文化が溶け込む長崎の風土ならではの鯨のモチーフ。そしてみかわち焼の伝統技法「置き上げ」。この窯元ならではの技術が、みかわち焼の伝統を伝えると同時に、ひと目でわかる独自の器を生み出しています。


その他光雲窯の返礼品

14代目当主 今村隆光さん
父親がみかわち焼のロクロ師だったので、中学を卒業してすぐにこの道に入りました。子どもの頃、京都から来ていた日本画の絵描きさんが近所に住んでおり、小学生のころから、夜になるとその方のところへ染付の勉強をしに行きました。習いはじめた次の年に、みかわちで陶器市が開催されることになり、自分の作品を出品しました。小学5、6年生の頃です。最初に奨励賞を受賞し、次の年は努力賞。まだ賞状を持っています。そんなこともあり、中学を卒業したときに父が仕事先を探してきてくれて、有田のやきものの会社に入社しました。
ちょうど佐賀県立有田工業高等学校で定時制がはじまり、昼間は会社で絵付師として仕事をし、夜は学校のデザイン科で4年間勉強しました。会社では最初に釉彩を行いました。撥水剤の入った絵具で色を塗り分けます。この釉彩を5年ほど行った後、今度は染付の先生の助手として、先生の絵を見本にして、有田の染付を勉強しました。山水画から花鳥図まで20年間です。そして、36歳で会社を辞めて、実家に戻って独立し現在に至ります。
平戸焼の名でヨーロッパを魅了した長崎デザイン「みかわち焼」

細やかさと濃淡を駆使した、写実的な絵。
素焼きの白地に、藍色の絵の具・呉須(ごす)を含ませた筆で絵や文様を描き、着色する。手描きでつくられるみかわち焼は、手作りならではの奥深さと温もりがあります。
絵柄の輪郭(りんかく)を描いて着色していく作業「骨描(こつが)き」のあとに、呉須を面として染る「濃(だ)み」でひとつの絵柄を作り上げていく。職人の技によりみかわち焼はつくられています。
みかわち焼の染付は、「一枚の絵のような」と評されることがあります

やきものに描かれる絵は、陶工たちが器に同じ絵柄を何度も繰り返し描くうちに自然と省略や変形が起こり、パターン化された「文様」として定着していくものです。しかし、みかわち焼は、そのような図案の変形を経ることはなく、いまでも絵画を描くように、一筆ひとふでを運んでいきます。そのため、やきものの絵付けとしては珍しく、濃みの濃淡で立体感や遠近感を表現するなど、絵画的な手法が大切にされ続けています。