熊本県 宇土市 (くまもとけん   うとし)

28-161 小山本手打刃物(熊本県伝統的工芸品) 肥後象嵌切り出しナイフ 銀杏(限定1品)

400年の歴史があり,熊本県を代表する伝統工芸品「肥後象嵌」の切り出しナイフです。 日本古来のタタラ製鉄法で原料である砂鉄から和鉄を作り,「伝統的工芸品産業振興協会賞」に輝いた刃物師の小山博行氏が鍛造しました。そして,小山氏と同賞を受賞している肥後象嵌師の東清次氏が,金や銀の象嵌を施した逸品となっています。錆色の重厚な鉄の美しさに,金や銀の装飾がよく映えます。【※こちらの商品は丹精込めて手打ちされた限定1点ものです。】

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容量
肥後象嵌切り出しナイフ 銀杏(限定1品) (材質) 和鉄(刃は青紙鋼) 象嵌:金 (重量) 138g (サイズ) 195mm

肥後象嵌

写真
「肥後象嵌」は、熊本県を代表する伝統的な金工品です。
かつては銃身や刀鐔などに施される装飾として発展してきましたが、今ではアクセサリーやインテリアなどの装飾品としてその技術が受け継がれています。
肥後象眼の特徴は、武家文化を反映した「重厚感」と「上品な美しさ」です。深い黒地に金銀の意匠が映える象眼の美しさは派手さを抑えて品格を漂わせています。
技術的な特徴としては,「重厚感」と「地鉄の美しさ」があります。「重厚感」は,使用する金・銀を厚くすること、さらに布目を手切りする事により可能です。「地鉄の美しさ」のいては,地鉄そのものの美しさを大切にするために、地鉄に塗料等を一切使用しないで錆色(さびいろ)だけで仕上げています。

▽歴史

肥後象眼の始祖は,江戸時代初頭の鉄砲鍛冶である林又七と言われています。林又七は元々加藤清正に仕えていましたが、1632年(寛永9年)加藤家改易の後、変わって肥後藩主となった細川忠利に仕職しました。
林又七は京都で布目象眼の技術を習得すると,銃身に九曜紋や桜紋などの象眼を施すようになります。その後も林又七によって施された象眼の優れた技術は数々の名品を生み、肥後象眼として受け継がれていきました。
肥後象眼が発展した背景には忠利の父である細川忠興の存在もあります。風雅を好む忠興は,鍛冶である平田彦三などの名匠をお抱え工とし、刀剣金具制作などの金工技術を競わせました。このようにして肥後象眼は細川家の庇護を受け、武家社会の隆盛と共に洗練された技術として発展していきます。特に幕末には林又七の再来と呼ばれる名人「神吉楽寿」が出現し、肥後象眼は不動の地位を築きます。
しかし明治維新によって廃刀令が発布されると刀剣金具の需要が無くなり、肥後象眼も衰退の憂き目にあいます。しかしながら装身具や茶道具等に技術の転用を図ることで再び活路を見出し、その伝統の技術は現在に受け継がれています。
そして,人間国宝の米光太平氏及び県の重要無形文化財の保持者に認定された田辺恒雄氏によって後継者の養成がなされ,現在は熊本県に十数名の象嵌師がいます。また,伝統技術を保存するため,昭和38年8月18日には肥後象眼技術保存会が結成され、平成15年3月には肥後象嵌振興会が伝統的工芸品の国指定を受けました。

▽製造方法

肥後象眼には「布目象眼(ぬのめぞうがん)」「彫り込み象眼(ほりこみぞうがん)」などの技法がありますが、現在行われているのはほとんどが布目象眼です。布目象眼は地金として使用する鉄の表面に細い切れ目(布目)を入れ、そうして出来た溝に金銀の金属を打ち込んでいく技法です。肥後象眼では地金に塗料等を使わず錆色だけで深い黒色に仕上げることで地金の美しさを引き出すことや、金銀の厚み、縦・横・斜めの4方向から切る布目の切り方、肥後独自に受け継がれる文様などにより特徴である「重厚感」や「上品な美しさ」を表現しています

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