岩手県 遠野市 (いわてけん   とおのし)

遠野南部流鏑馬 保存会 当たり矢 ・的 額装 つき

毎年9月に遠野郷八幡宮で行われる「遠野まつり」で奉納されている、遠野南部流鏑馬にて的中した当たり矢と的のセットです。 ※2024年は大雨により、流鏑馬の実施が見送られました。そのため、お送りするものは2023年のものとなります。 そもそも流鏑馬は五穀豊穣や地域の安寧、武運長久などを祈念して執り行われる神事であり、人馬一体の妙技の結実ともいえる的中した矢や的は、大変縁起が良いものとして古来より珍重されてきました。 南部家の古文書においても、神事流鏑馬で的中した矢を殿さまに献上することが恒例となっていたことが記されております。 近年、「当たる=ヒットする」ということで、商売繁盛などを祈る方にも好評を得ております。 ※的及び額装については遠野市の工務店が製造しています。

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容量
当たり矢・的 額装つき 1セット ・当たり矢:約100cm(矢じりはついていません) ・的:約60cm×60cm アクリル板にて額装してお届けします。 ※奉行名や順番(一之的~三之的、一番乗~三番乗)、的中した場所はお選びいただけません。

遠野南部流鏑馬とは

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遠野郷八幡宮馬場で行われる「遠野南部流鏑馬」は、1661年に八戸から村替えになった南部直栄が遠野市松崎町光興寺にあった八幡神社(現在の元八幡宮)を現在地に遷宮して馬場を造営し、流鏑馬を奉納させたのが始まりとされ、遠野の武士たちから現在の「遠野南部流鏑馬保存会」まで以後約360年の間、継続されているものです。
※旅東北より引用

南部流鏑馬は他の流鏑馬にない大きな特徴「介添奉行」があります。
射手奉行が的を射終わった後に、介添奉行が「よう射たりや~!!」と言いながら後を追いかけていきます。本来介添奉行は世話係で人前に出るものではありませんが、昔「橘左近」という18歳の若者が射手の大役を拝命し、これを心配した祖父が介添え役を申し出たところ、本番、左近は三つの的全てを射抜き、あまりの嬉しさに「よく射った、よく射った」と連呼してその後を追ったのを吉例として作法として定まったと伝えられています。

介添奉行だけでなく、この他にも南部独特の作法を伝承していますが、このように作法としての流鏑馬を伝承しているのは南部のほかに、なんと小笠原・武田の二流派しかありません。
小笠原・武田といえば流鏑馬の名家として聞こえますが、実は南部流鏑馬も比べるに遜色ない伝統と格式をもっていると言えます。

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遠野郷八幡宮の馬場は、寛文元年(1661)遠野南部第22代南部直栄によって造営されました。一周450m、約3町歩の面積を誇り、馬が走る南端は220mと流鏑馬の定法に適った設計となっています。これだけ広面積の芝生馬場を有する神社は、日本全国を見回しても二か所だけです(もう一か所は島根県津和野の鷲原八幡宮)。

また特徴としては、的を掛ける土手は馬場中央に設けるのが普通ですが、この馬場は南端に土手を設け、中央は広場とし、大勢の観客が集まることができるように設計されていることがあげられます。

この馬場で披露される遠野南部流鏑馬は、南部藩独自の作法を今に伝え、大変貴重な流鏑馬です。
これらの歴史的・文化的価値を認められ、遠野南部流鏑馬は昭和54年に、遠野郷八幡宮馬場は昭和56年に市指定文化財に指定されました。

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遠野市では、貴重な馬事文化である流鏑馬を次世代につなげるため、「子ども流鏑馬」という日本で唯一遠野でしか行われていない、こどもが引馬に乗って3つの的を射る行事を行っています。
こども達の健やかな成長を願うのはもちろんのこと、馬産地遠野にふさわしくこども達が馬と触れ合う機会を提供するとともに、南部流鏑馬という貴重な文化に興味持ってもらうきっかけになればと始められました。

馬文化に興味を持ってもらい、人間性や社会性を涵養し、将来的には馬事文化を受け継ぎ、そして次世代へと伝承する人材を育成する場となることを期待しています。

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