岩手県 奥州市 (いわてけん   おうしゅうし)

愛されて70年 後藤屋の奥州銘菓詰め合わせ(麦つき節・大風呂敷・駒かすみ)

奥州の人気銘菓を詰め合わせました。 くるみ入りのお餅にきな粉・黒蜜をかけて食べる「麦つき節」、抹茶あん・くるみあん・こしあんの3種の団子にお餅・栗の入った「大風呂敷」、世界文化遺産の中尊寺茶室菓子「駒かすみ」の3種類です。 ※生ものですので開封後はお早めにお召し上がりください。 ※お礼の品・配送に関するお問い合わせは、(菓子処 後藤屋:0197-23-2931)までお願いします ※配送先情報の変更や長期ご不在日がございましたら、事前にご連絡ください。  出荷後のご対応は出来かねますので、ご了承ください。 ※転送となった場合は、転送費用について寄附者様においてご負担いただく場合がございます。 ※不在など、寄附者様のご都合によりお届けできない場合、返礼品の再送はいたしかねますのでご了承ください。

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容量
大風呂敷×1個 駒かすみ×10個 麦つき節×5個

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奥州市水沢の街にある、和菓子の名店「後藤屋」

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かつて城下町として栄えた奥州市水沢の街には、今も多くの武家屋敷が残っています。この土地からはさまざまな偉人が輩出されていて、特に蘭学者や医師として名を馳せた高野長英(たかの・ちょうえい)と第30代内閣総理大臣を務めた斎藤實(さいとう・まこと)、そして大正時代に関東大震災の復興に尽力した後藤新平(ごとう・しんぺい)の3人は「水沢三大偉人」と呼ばれています。街にはそれぞれの記念館があるほか、高野長英と後藤新平の旧宅も現存。ここで暮らす人たちは子どもの頃から彼らの功績に触れ、身近な存在として親しんできました。

今回お邪魔した後藤屋は、後藤新平旧宅の近くに店を構えています。1945(昭和20)年に創業し、地元にゆかりのあるお菓子を数多く製造しています。

食べた瞬間、心動かされるようなお菓子を

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現在、後藤屋の3代目を務めているのは、創業者の孫、そして先代の息子にあたる後藤大助(ごとう・だいすけ)さんです。お菓子を作る上で大切にしているのは、「まずは自分がおいしいと思うものを作ること。そして売り手の都合ではなく、お客様に感激していただける味を提供し続けていくことです」とのこと。そんな後藤さんは子どもの頃、「後藤屋の息子と呼ばれたくない」と思っていた時期があったそうです。そのため高校卒業後は上京し、お菓子とは全く異なる営業や接客などの仕事に携わっていました。しかしそこで出会った人から偶然、岩手や水沢の魅力を教えられたり、自分自身も年齢を重ねたりするうちに地元への思いが強まっていきました。

移りゆく時代の中で変わらない大切なもの

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そもそも後藤屋の創業は、実家が菓子店を営んでいた後藤さんの祖母が、祖父と一緒に新しい店を出したのが始まりでした。後藤さんが子どもの頃は、30人ほどの従業員が昼夜を問わずお菓子を作っていたそうです。「当時は街に百貨店がいくつもあって商店街もにぎわっていました。お菓子を作れば作った分だけ売れる時代だったんです」

当時の思い出があるからこそ、後藤さんは時代とともに変わりゆく街の姿に一抹の寂しさを感じると言います。しかしその一方で、昔と変わらない後藤屋の姿が誰かの喜びにつながることもあります。ある人には、「数十年ぶりに水沢に来た。街はすっかり変わってしまったけれど、昔のままの後藤屋さんがあってうれしい」と言われたこともありました。

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お菓子を通してやりたいことは、街への恩返し

「街の菓子組合に行けば挑戦することを前向きに楽しんでいる先輩たちがいますし、悩みを相談することもできます。新作のお菓子の感想を同級生に求めれば、みんな率直に意見を伝えてくれる。これは本当にありがたいことだし、こうした人とのつながりがあってこそ今の後藤屋があるのだと思います」

そう語る後藤さんに「これからやりたいこと」を尋ねると、すぐさま「地域への恩返しです」という言葉が返ってきました。仲間がいることの心強さと、お菓子を通して多くの人に喜んでもらいたいという熱い思い。そして、何よりも大きな感謝の心。後藤屋のお菓子には人が人として生きる上で大切なものが、たくさん詰まっていました。どうぞゆったりとした気持ちで、味わってみてください。

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