岩手県 奥州市 (いわてけん   おうしゅうし)

水沢筆と南部鉄器文鎮の書道セット 【書道バッグ 赤】 伝統工芸品 文房具 日用品 雑貨 毛筆 習字 日本製 鉄分 窯焼き 白湯 デトックス 縁起物 調理 アウトドア 職人 直火

~小学生の書道にお勧め~ 奥州市水沢の水沢筆と南部鉄器ぶんちんの書道セットです。 豊臣家・伊達本家から伝播した伝統350年の水沢筆。 最盛期には、奥州市岩谷堂・水沢に70軒あった筆屋ですが、最後の筆屋となった文秀堂よりお送りします。 大筆「比賢立生」は芯に馬天尾と狸の混毛、周りの化粧毛は山羊の毛です。 小筆「銘光」は芯に鼬(いたち)、周りは狸と馬の混毛です。 南部鉄器のぶんちんは2本入りです。奥州市の花である桜がデザインされています。 すずり墨、バック等は呉竹製品となります。 【比賢立生とは】 奥州市岩谷堂の郷学比賢館と水沢の郷学立生館に由来します。立生は論語の「本立而道生」に由ります。 【銘光とは】 現在の文秀堂は、熊田文秀堂と高橋銘光堂の合併によります。愛着ある旧のれんを筆名に採用しました。 銘光とは銘華と玉光よりの命名。「美しい銘文を宝石の光のように美しく記す」と考えます。 【お礼の品・配送に関するお問い合わせは、(文秀堂株式会社:0197-23-4165)までお願いします】 ※配送先情報の変更や長期ご不在日がございましたら、事前にご連絡ください。  出荷後のご対応は出来かねますので、ご了承ください。 ※転送となった場合は、転送費用について寄附者様においてご負担いただく場合がございます。 市内で製造された筆、南部鉄器文鎮と市外で製造された書道バッグのセット。筆と南部鉄器の調達費用が7割以上を占める。

25,500以上の寄附でもらえる
  • 常温
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容量
【サイズ】 ・太筆比賢立生 1本 重さ:約20g 穂先長さ:約45mm 軸長さ:約200mm 穂先直径:約12mm ・小筆銘光 1本 重さ:約5g 穂先長さ:約25mm 軸長さ:約175mm 穂先直径:約6mm ・南部鉄器ぶんちん 重さ:約200g 幅:約110mm×約24mm高さ:約12mm(つまみ部分約20mm) ・書道バック 赤色(呉竹製品) 幅:330mm× 275mm(持ち手含む) 厚さ:40mm ・ぼくちすずり(呉竹製品) サイズ:5.3寸 PP・シリカ系フィラー ※本体大きさや重量、容量は制作工程の都合上表記と若干誤差がある場合がございます。

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戦国時代から伝わる水沢筆の、書道セット

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今回ご紹介する返礼品は、およそ50年の時を経て復活した水沢筆と、岩手の伝統工芸品として知られる南部鉄器の文鎮が入った書道バッグです(※今回の返礼品はふちが赤色。青色をご希望の方はコード番号「BS036」でご検索ください)。墨や硯、下敷きなど、書道を始めるのに必要な道具がコンパクトに収まり、持ち運びに便利な、小学生にもおすすめのセットです。

水沢筆の歴史は古く、そのルーツはなんと大坂の陣直後から始まります。豊臣秀吉に祐筆(ゆうひつ/武家で文書や記録を担当する職のこと)として仕えていた家臣が伊達家預り人として筆職人を伴い仙台に下り、そこで筆作りを広めたのがきっかけと言われています。さらに当時、奥州市水沢地域は伊達藩の領地だったことから、仙台から筆作りが伝わり“水沢地域で作る水沢筆”として定着していきました。

時代とともにのれんを畳んだ地域の筆屋

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その後、庶民が普段使いできる気軽なものとして広まった水沢筆。江戸時代末期から明治時代初期にかけて盛んに筆作りが行われ、ピーク時には水沢地域を中心に約70軒の筆屋が軒を連ねたといいます。しかしながら時代の流れとともに、筆記具は筆からペン先をインクに浸して使うつけペン、鉛筆へと変化していきます。需要の減少とともに筆屋もまた次々と姿を消していき、現在では1817(文化14)年に創業した文秀堂を残すのみとなりました。

実はその文秀堂も、過去には水沢筆の生産を全て広島県呉市の筆屋「文志堂」に委託したこともありましたが、数年前に転機が訪れ、自社で筆作りを再開することになったのです。

孫のために伝統の筆作りの再開を決意

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文秀堂の7代目を務める髙橋竜太郎社長にお話をうかがうと、水沢筆復活のきっかけはお孫さんの誕生にありました。東日本大震災から数年後に生まれた初孫はすくすくと成長し、その姿を見ているうちに髙橋さんにある思いが湧き上がります。

「小学校では3年生になると書道の授業が始まります。その授業で使われている筆の中には穂先にナイロンやプラスチックが混ざったものが少なくありません。水沢筆の生産を再開し孫にも使ってもらいたい、地元の子供たちに水沢筆と南部鉄器を身近に感じてもらいたいと思うようになりました。それに、当社が水沢筆を製造していた50年前の風景を、実際に見て知っているのは私だけ。自分の代で復活させなければ、今後その機会を得ることは難しいのではないかと考えたのです」。そうした思いから、髙橋さんは水沢筆の製造再開を決意。これまで生産を委託していた広島県呉の文志堂に筆作りの指導を仰ぎ、復活への道のりを歩き始めました。

使う人を思い浮かべながら心をこめて丁寧に

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筆作りは繊細な作業の連続で、特に筆の軸に穂先を入れる時は定規で長さを測りながら慎重に行います。これは軸から出る穂先の長さが適切でないと墨を含む量が安定しなかったり、穂先が折れやすくなってしまったりするためです。

文秀堂の筆作りは未だ道半ばで、試行錯誤しなければならないこともしばしば。しかし髙橋さんは「とにかく今できることを、コツコツと堅実に続けていくことです」と語ります。50年の時を経て復活した水沢筆の大筆「比賢立生」(ひけんりゅうせい)は、芯に馬天尾(うまあまお)と呼ばれる馬のしっぽの付け根あたりの毛を使用。弾力と強いコシ、耐久性にも優れているため、子ども用の筆によく用いられます。また小筆「銘光」は、芯に毛先のまとまりが良いイタチの毛を、化粧毛には墨の含みが良く弾力のある狸の毛を使用しています。

水沢地域の歴史を伝える重厚感のある文鎮

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その水沢筆と一緒に書道セットに入っている文鎮は、奥州市の花である桜がデザインされた南部鉄器。手に取ってみるとずしりとした重厚感もさることながら、一つ一つ職人の手で作られたぬくもりも感じられます。実はこうした小物を南部鉄器で作るのは、水沢地域ならではの特徴でもあるのです。

岩手県はかつて南部藩と伊達藩の2つに分かれていて、同じ南部鉄器と言えどその発祥は異なります。盛岡を中心とする南部藩では、藩のお抱え鋳物師が茶道のための鉄瓶や釜などを作ったのが始まりで、美術工芸品としての用途が主流でした。それに対して水沢地域では、日用品としての鉄瓶や鍋、釜、仏具宝具など、庶民の暮らしに寄り添った南部鉄器が定着していったのです。

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最後の筆屋としてやらねばならないことがある

そんな奥州市の水沢地域で、200年以上の歴史を持つ文秀堂。現在は初心者用書道セットのほか、平泉の中尊寺や毛越寺、日本三景で知られる松島の瑞巌寺などにも筆を納めています。髙橋さんは水沢筆を残すためには、時代が変わっても筆を必要とする場所へきちんと届けることが大切だと考えています。

「これまで文秀堂は筆屋にこだわるのではなく、事務用品を扱う店として商売を続けてきました。だからこそ時代の変化にも対応できたわけですが、今となっては地元で水沢筆を作れるのは当社のみ。地域に残った最後の筆屋として、しっかりと後世に伝えていきたいです」。この書道セットには、水沢筆や南部鉄器を子どもたちに使ってもらうことで土地の歴史と先人たちの心を伝えたいと願う、髙橋さんの熱い思いがいっぱいに詰まっているように感じられました。

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東北支部(岩手県奥州市担当) / 山口 由(やまぐち ゆう)

2011年、被害日本大震災をきっかけに横浜から盛岡へUターン。現在はフリーライターとして、お店や人材の紹介、学校案内、会社案内、町の広報誌など幅広く活動中。取材を通して出会う様々な人の思いや歴史を知り、「岩手ってすごいなぁ」と時間する日々を送っています。趣味は散歩と読書、長距離ドライブなど。

奥州市は伝統文化や工芸品、郷土料理の宝庫です。訪れるたびに新たな発見がある、この街の魅力を紹介します。

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