岐阜県 可児市 (ぎふけん   かにし)

志野鉢 作者:加藤 裕子 / 美濃桃山陶 陶芸 陶器 伝統工芸 焼物

作者:加藤 裕子 加藤裕子氏は、父で陶芸家の加藤弥右衛門氏の長女として、可児市久々利大萱で生まれました。 高校時代から茶道を始め、お茶会で出てくる叔父や父の茶碗を誇らしく思い、日展評議員の加藤釥氏に師事。 その後、父弥右衛門氏と大萱窯で作陶。 弥七田古窯に隣接して窯があるため、特に弥七田織部を意識しており、繊細な柄やデザインに惹かれる一方、自由な発想でオリジナルな作品も作っていきたいとの思いもある。 「大萱の地がとても大好きなので、この地で育まれた伝統を守っていきたい。」 1994年 日展評議員・加藤釥氏に師事     日工会展 入選15回 日工会賞 受賞     波光会展 中日新聞社賞 受賞     日展 入選3回     美濃陶芸展 中日奨励賞2回

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美濃桃山陶の聖地・可児

”美濃桃山陶”とは?

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日本の陶磁史上最も華やいだ時期といわれる、安土桃山時代。
その時代に可児をはじめとする東濃地方で焼かれた陶器が、”美濃桃山陶”です。 
美濃桃山陶には、大きく「黄瀬戸」「瀬戸黒」「志野」「織部」といった種類の焼きものがあります。 
美濃桃山陶の中でも、16世紀末に生まれた「志野」は、日本で初めて白い釉の下に筆で絵や文様を描いた焼き物です。
装飾性が豊かで、半透明な釉に浮かぶ斬新な鉄絵の面白さは、茶人を虜にし、隆盛を極めました。
国宝や重要文化財に指定されている名品も多く、まさに美濃桃山陶を代表する焼きものといえます。 

美濃桃山陶の産地

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長い間、美濃桃山陶は愛知県瀬戸市で焼かれた、いわゆる「せともの」と考えられていました。
「黄瀬戸」や「瀬戸黒」と呼ぶ名称にその名残があります。  
美濃桃山陶の本当の産地がわかったのは、昭和5年(1930)、荒川豊蔵氏が可児市久々利大萱の牟田洞で、筍の描かれた「志野」の陶片を偶然に発見したことによります。  
牟田洞古窯では、国宝の志野茶碗 「銘 卯花墻」(三井記念美術館所蔵)が焼かれたといわれています。

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荒川豊蔵氏は、美濃桃山陶の復興に尽力し、「志野」「瀬戸黒」の技術で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定、文化勲章を受章するなど、その功績が今日に至るまで称えられています。
現在、荒川豊蔵邸の敷地は「荒川豊蔵資料館」となり、豊蔵氏の作品や収集品を紹介しています。また、敷地内の居宅や陶房も公開しています。 

そして現在ー

平成22年(2010)に「瀬戸黒」で人間国宝に認定された加藤孝造氏も久々利で作陶に励んでいました。
また、20名ほどの陶芸家が可児市を拠点に作陶に励み、安土桃山時代からの伝統技術の継承、発展を担っています。

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