岐阜県 可児市 (ぎふけん   かにし)

赤志野酒盃 作者:吉田 喜彦 / 美濃桃山陶 陶芸 陶器 伝統工芸 焼物

作者:吉田 喜彦 吉田喜彦氏は、画家を志していましたが、世界の超一流の画家達の絵が見られるようになると、考えた末陶器づくりをするため、濱田庄司氏を訪ねます。 濱田氏への弟子入りは叶いませんでしたが、縁あって荒川豊蔵氏に弟子入りします。 荒川氏、濱田氏をはじめ様々な方達の教えを受けながら、絵を描いていた頃に考えていた「吉田でなければ創れない作品を創りたい」と努力したといいます。 導いてくれた方達に感謝し、後に続く人のお役に立ちたい、若い人達に育ってほしいのだといいます。 1936年 栃木県宇都宮市に生まれる 1956年 荒川豊蔵氏のもとで作陶修業をはじめる 2014年 世田谷美術館にて「陶芸家 吉田喜彦展」開催 2015年 岐阜県現代陶芸美術館「吉田喜彦とうつくしいものたち」開催 2016年 益子陶芸美術館「益子と美濃を結ぶ陶芸家・吉田喜彦展」開催

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美濃桃山陶の聖地・可児

”美濃桃山陶”とは?

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日本の陶磁史上最も華やいだ時期といわれる、安土桃山時代。
その時代に可児をはじめとする東濃地方で焼かれた陶器が、”美濃桃山陶”です。 
美濃桃山陶には、大きく「黄瀬戸」「瀬戸黒」「志野」「織部」といった種類の焼きものがあります。 
美濃桃山陶の中でも、16世紀末に生まれた「志野」は、日本で初めて白い釉の下に筆で絵や文様を描いた焼き物です。
装飾性が豊かで、半透明な釉に浮かぶ斬新な鉄絵の面白さは、茶人を虜にし、隆盛を極めました。
国宝や重要文化財に指定されている名品も多く、まさに美濃桃山陶を代表する焼きものといえます。 

美濃桃山陶の産地

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長い間、美濃桃山陶は愛知県瀬戸市で焼かれた、いわゆる「せともの」と考えられていました。
「黄瀬戸」や「瀬戸黒」と呼ぶ名称にその名残があります。  
美濃桃山陶の本当の産地がわかったのは、昭和5年(1930)、荒川豊蔵氏が可児市久々利大萱の牟田洞で、筍の描かれた「志野」の陶片を偶然に発見したことによります。  
牟田洞古窯では、国宝の志野茶碗 「銘 卯花墻」(三井記念美術館所蔵)が焼かれたといわれています。

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荒川豊蔵氏は、美濃桃山陶の復興に尽力し、「志野」「瀬戸黒」の技術で重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に認定、文化勲章を受章するなど、その功績が今日に至るまで称えられています。
現在、荒川豊蔵邸の敷地は「荒川豊蔵資料館」となり、豊蔵氏の作品や収集品を紹介しています。また、敷地内の居宅や陶房も公開しています。 

そして現在ー

平成22年(2010)に「瀬戸黒」で人間国宝に認定された加藤孝造氏も久々利で作陶に励んでいました。
また、20名ほどの陶芸家が可児市を拠点に作陶に励み、安土桃山時代からの伝統技術の継承、発展を担っています。

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