山梨県 市川三郷町 (やまなしけん   いちかわみさとちょう)

甲州和紙(糸落水)を使用したガラススクリーンシート[5839-2065]

ガラスに水で簡単に貼れるこもれび和紙。 紫外線や熱線をカットし、断熱効果が期待されます。 創業160年の老舗「和紙漉屋」が織りなす、甲州和紙(市川和紙)の糸落水を贅沢に使用しています。

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容量
サイズ:巾90㎝    長さ2m    重さ210g カラー:ゴールド    ホワイト

甲州和紙『糸落水(いとらくすい)』

江戸時代から続く
金長特殊製紙の技術

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日本一の障子の生産地である山梨県・市川三郷町。この地で創業以来
ずっと高品質な障子紙や特殊な和紙を作り続けています。
この地で作られる和紙は、美人の肌のように美しいことから
「肌吉紙」と呼ばれ、古くは幕府の御用紙として使われていました。
「糸落水」は経験と知恵を駆使した製紙技術の結晶です。
乾燥する前に水を落としてムラを作るという、
絶妙なタイミングと技法を駆使しています。

伝統のその先へ。

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日本人のライフスタイルの変化により、障子の需要は減ってきています。
しかし、日本人の和紙や障子に対する親しみの心は
今もなお健在であると考えた私たちは、
現代のライフスタイルにもあう障子を作れないかと模索いたしました。
そして、度重なる試行錯誤を経たのち生まれたのが、
糸と落水紙を掛け合わせた新素材「糸落水」です。
伝承は継承するだけでなく、進化させるもの。
今後もこの糸落水を使った様々なプロダクトに挑戦していきたいと考えています。

さあ、和紙の旅に出かけよう。

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-------------------Vision

甲州から、世界へ。

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山梨の地に生まれ息づき、千年以上もの歴史を紡いできた
和紙の生産地「市川和紙」と「西嶋和紙」。
市川和紙は障子紙の生産量日本一を誇り、
西嶋和紙は書道半紙の業界では
知らない人がいないほどのメジャーなブランドになりました。

しかし、いくら長い歴史があっても「山梨県我和紙の生産地である」
という世間的認知は得ていませんでした。これは非常にもったいないことです。

日本人のライフスタイルも西洋化し、和紙に求められるものも日々刻刻と変化しています。
伝統を継承することはもちろん重要ですが、人々の生活に寄り添い人々に喜ばれるものを作りたい。
和紙にはきっとその力があるから。そう思ったのがブランド立ち上げのきっかけでした。

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千年以上の歴史を培ってきた二つの産地の知恵と技術を掛け合わせ、
今の人々に求められるような新しい和紙を作ろう。
市川和紙を代表する製紙メーカー「金長特殊製紙」6代目と
西嶋の書道半紙メーカー「山叶製紙」代表を中心に、
和紙職人たちの思いを結集して生まれた和紙ブランド。
それが甲州和紙です。
まだ生まれたばかりのブランドですが、今後甲州和紙ブランドの名の下に
新しい和紙商品を企画開発し、日本全国、世界に発信していきます。
今後の甲州和紙にご期待ください。

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新ブランド「甲州和紙」が誕生

三つの国立公園に囲まれた山梨の地で、恵まれた豊かな水を利用し
長い繊維を手漉き・機械漉きにしたもの、
または、その紙で加工したものを甲州和紙といいます。

市川和紙と西嶋和紙がその代表であり、
千年の歴史があります。

市川和紙

市川和紙の起源は、甲斐源氏の時代に遡ります。
甲斐源氏の祖・源義清(みなもとよしきよ)が市川大門町に居を構えた際、
伴ってきた家臣の紙工「甚左衛門」が、紙漉き技術を伝授したのが興りだと伝えられています。

市川手漉和紙は、武田氏時代や武田家滅亡後も徳川家の御用紙として幕府に献上されました。
和紙は「美人の肌のように美しい」というたとえで、「肌吉紙」と呼ばれ
和紙職人の「肌吉衆」は手厚く保護されてきました。
千年以上も続く伝統の技術は、今も地場産業に生き続けています。

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金長製紙株式会社の返礼品一覧

市川三郷町の和紙製品

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